「ちいさな哲学者たち」を見て

2011年のフランス映画「ちいさな哲学者たち」を見た。
フランスの公立幼稚園2カ所で、4歳児に2年間、哲学の授業を行なった実験のドキュメンタリー。哲学好きにはたまらない!

友達ってなあに?という質問から初めて、2年間で、好きと恋はちがうもの?愛ってなあに?自由ってなあに?死ぬってどういうこと?などについて子供だけで議論できるようになっていた。ここまでくるともう「ちいさな脳死臨調」だ。

自分が子供だったときのことは全然覚えていないけど、4歳児でもあんなに話せるものなんだな…。テーマに沿って話ができる。
2年目のある議論はこうだった。

なぜ貧しい人は貧しいの?
貧しいってなあに?
家がないこと。水とパンだけ。駅で寝る。ごみ箱の中を見る。嵐でも外で寝る。
金持ちはいい。何でも買えて豊かだから。
豊かってお金だけ?
もし私がお金持ちでも意味がないけど、友達といると楽しい。
ホームレスは友達はいても食べ物がない。
何もあげないと死んでしまう。
何もあげないでいると彼らはときどき怖い態度になるの。
もし何かあげると怖くしない。
あげなくていい、自分で買えばいい。
(非難ごうごう)
意地悪!物乞いをする人の入れ物はカラだった。
駅の階段に女の人がいた。お金をねだってた。パパとママはあげなかった。私は言った。なぜお金をあげないの?あの人は貧乏なのよ。パパは言った。どうでもいい、急がないと遅れる。
当然だね。
(非難ごうごう)
もし私が貧乏だったら、何も買えない。

「なぜ貧しい人は貧しいの?
なぜなら、誰も助けてあげなかったから。」

するどい…。
質問をして、意見を交わし、結論を導くまでのすべてが、子供たちだけで完結していた。
先生の仕事は、きみが話して。もういちど言って。みんな静かに。それだけになっていた。

こうなるには、意見が違う人もいる。その話に耳を傾け、検討する。説得を試みる。また意見を聞く。ということを覚えないといけない。
本当にすごい。

もし養老孟司氏が見たら、日本人はそのへんが分かっていない。と言うに違いないと思った。
こんなに賢い子を、自分が説得できないのは棚に上げて、怒鳴って叩く。街を歩いていると、そういう大人が多すぎるように見える。まるで子供みたいだ。